定年退職後の人生を楽しく過ごすために・・・
2015-05-18 水道配管はまだまだのよう!
■ [ロングステイ] 水道は、もう諦めムードに!
水道の本管からの接続は、もう6月になりそうである。もう何も言う気にもならない。言っても、「お好きなように」となるだけ。次のアパートメントを探すのも難しいし、今更探しても、後1か月の(かどうか定かではないが)我慢だから。
とうとう、相手の策略に嵌ってしまったと言う感じ。4月28日にあった張り紙には、後1~2か月かかると平気で書いている。今までのアナウンスは何だったのか。
■ [ロングステイ] 壁のクラック修理もヒドイ!
ある日、壁のクラックを調査したいと電話が掛かって来た。それで、時間を打合せて13:00からだとOKと伝えた。ところが、10:00頃突然やって来て、クラックの場所にマーキングを入れるなり、グラインダーで壁を修理を始めた。
そんな話は聞いていないので、直ぐに止めるよう作業員に注意した。それで、掃除をすることを要求した。
家の壁修理が出来なかったが、隣り、向いにて壁修理をしている。住民に聞いてみた「こんな埃の多い状態で修理をやらせているの?」って。すると「ええ、大丈夫よ」との答え。
分からない、ベッドの上、ソファーの上は埃だらけ、でも気にしないんだ、ここの人は。本当にびっくりした。
後で、責任者に再度会った時、彼女は私に「いつ修理出来ますか」と聞いてきたので、「我々日本人住民の立場から、この修理は受け入れられない。もし修理をしたいのなら、全ての家具等を出し、部屋をシールし閉じた状態で作業をして、終了後全てきれいに掃除をして元に戻すことが必要。そして、事前に、工程表、作業要領書などを書面にて提出し、私の許可を得るように」と言ったら、そうしますと言っていた。多分私が許可できるような作業要領は彼らの頭の中にはないだろう。
2015-05-25 ボランティアの活動について
■ [ボランティア] 海外ボランティアはどれくらい働いているのか?
海外ボランティアを始めるきっかけ・目的はいろいろあると思われるが、どのような環境でどれくらい働くのかが気になるところ。もちろん、派遣先により、またボランティアの活動内容により一概には言えないが、ここスリランカのボランティアが、どれくらいの時間活動をしているのか、紹介したい。
ボランティア活動に参加する手順は、まず、ホストオーガナイゼーション(派遣先)から日本のボランティア団体(派遣元)に派遣要請があり、その内容に沿ったボランティアが選ばれ、派遣されることになる。派遣後は、ローカルコーディネーターと言う現地の人により対応することになるが、多くのボランティアの活動状況を詳細に把握するのは困難で、問題が生じた時だけ、対応するのが一般的である。
したがって、ボランティアの活動は、派遣先の管理と言うことになり、派遣先との合意の下、活動することになる。活動内容は予め決めているので、その内容に沿っての活動時間となる。
たとえば、日本語を教える派遣先は、初級中級のクラスは地元の先生で受持ち、上級クラスのみ日本人ボランティアが教えているが、週に1クラスしかないので、週に2時間ほどの活動時間となる。
また、ある大学で土木を教えているボランティアは、週に1日1.5時間の授業を持っているだけである。
私の場合、自身の範囲で出来る仕事は自身のスケジュールで進められるが、例えば発注などこちらの人、組織、会社などが関わってくると、極端にスピードダウンしてしまう。その結果、待ち時間が多くなり、仕事が進まない日も多い。
これが現実的なボランティア活動の実態だろうと思う。
これは時に我々日本人にとって、ストレスに感じるかも知れないが、そこはスリランカ、その空白の時間をうまく使ってやって行くのが必要かも知れない。
2015-05-27 スリランカで感じること
■ [ロングステイ]
我々が海外旅行をして楽しいと思うのは、日本と違った歴史、文化、風景、生物、民族、言葉、食物などに触れ、新しい体験が得られるからであると思う。
そして、その国の慣習・ルールに従うのもまた旅の趣でもある。例えば、ここスリランカでは、ライス&カレーを手で食べる習慣がある。これは現地の人が食生活において、長年実践して来て今も続けていることで、日本人の感覚から「手で食べるなんて」って言う筋合いのものではなく、食文化として尊重し、理解すべきことである。それで、その文化に触れたいなら、やってみるのも良い体験になる。
一方で、スリランカでは、カラスへの餌やり、信号無視、ゴミの投棄などを平気で行う人も多い。
これは、文化でもなく、尊重したり、理解したりするものでもない。これは、ルールがないのか、またはルールを無視した行動であり、我々からは、黙って見過ごすのか、または苦情を言うのか、どちらかを選ぶことになる。
この話題を出すと、「それがあなたにどんな問題を生じているのか」(大きなお世話だ)とか、「そんなに嫌なら、日本に帰ったら」と反発を頂戴することもあるが、「嫌」と言うより、日本との違いを感じることで、それを知ってもらい、良い国になって欲しいと願い、苦情を言うのである。
スリランカでは、まだまだルール作りが出来ていないし、出来てても、それを徹底する雰囲気がない。国民の一人一人の意識を変えて行くには、家庭や学校での教育が必要で、それにはまだまだ時間がかかりそうである。
スリランカでは、敬虔な仏教徒が多く、毎日ロードブッダを崇めている。この宗教の立場を利用して教育してはどうかと思うが、なかなかそうは行かない。
カラスは生き物だから餌を与えるのは良いこと、仏教には信号のようなルールはない、仏教徒(特に出家信者)の既存権益(特権)を守るためにはこのままがいいと言った感じ。
日本でもこの種の問題はある。カラス、イノシシ、猫に餌をやる人、ゴミ屋敷、信号無視も日常茶飯事。だけど、日本は条例などでこれらの人々の考えを改めてもらう努力をしている。(いろんな考え方の人がいるのは確かであるが、正しい判断基準を持ってもらうことが必要)
ここスリランカでも、個人意識レベルの向上を目指し、真に輝ける島の国になって欲しいものである。